「永遠の晩餐会」  05.01.16
              ルカ22:14〜23

 信仰者は、自分の願いや望みだけに心を奪われて、生きるのでは
ありません。神さまの願っておられることにも心を向けます。
 自分の願いだけで心が一杯の時には、神さまを愛する心も、周囲の
人を愛する心も失われていることが多いのです。愛を見失っている
ところで、力を振るうのは罪です。

 神さまの願っておられることに心を向ける時に、人は、神さまに
創られた人間としての本来の生き方を回復していきます。
 十戒や山上の説教などの言葉によって、神さまの願いが知らされて
います。それらの言葉に心を向けるなら、それぞれの日常生活で、
具体的な生き方が必ず示されます。主の願いに応えつつ語り、
行う者でありたいのです。人間関係も、一方通行ではなく、相手の
願いに心を配ることでより豊かになります。神さまの願いに心を向け、
それに応えようとする歩みは、神さまとの交わりの深まりを生み出します。

 イエスさまが、弟子たち、そして私たちに対して切に願われたことが
書かれています(15節)。それは聖餐の食事です。
 聖餐式は、イエスさまが私たちに対しておっしゃった、具体的な願いの
一つ(洗礼も)です。聖餐式は、教会が大切にしてきたことであり、
重要ですから大変難しい議論がされます。神秘的な側面を持ち、
言葉で言い表すことが難しい面を持っています。
 しかし、はっきりしているのは、イエスさまが、私たちと一緒にしたいと
切に願われた具体的な事柄だということです。イエスさまがこれを切に
願っておられる…。私たちはこのことを心に刻むべきです。

 この食事は、私たちのためにイエスさまが十字架で死んでくださった
ことを明らかにする食事ですから、イエスさまによって罪と死から解き
放たれ、自由を与えられたことを喜ぶ食事です。

 また、私たちが復活した時に参加する神の国の食卓を指し示して
おりますので、復活の命への希望があることを喜ぶ食事です。
 「そのような喜びをあなたに与える。一緒に喜びの食事をしよう」と
切に願っておられます。